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今回の脱線事故で蘇ったある記憶 [日記]

先日不幸にも起こってしまった、あの兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故で
ジブン自身思い出した記憶がある。
今回の脱線事故の原因は、更なる調査を待たなければならないとしても
十中八九、運転士の速度超過なのだろうが、
当初の警察の実況検分の過程で、置き石と思われる粉砕痕が発見されたとの
報道を聞き、その記憶がたまさか蘇ったのである。

幼少時代のジブンは、線路脇の住宅に住んでいた。
生まれた時からずっとそこで育ったので、田舎とはいえ
結構な割合で通過していく電車の轟音にもすっかり慣れっこであった。

さて、そのような住宅環境であるからして、当然(?)遊ぶ時も
線路と家の間にある小さな駐車場がジブンら近所の子供のメインの
遊び場だった。小学中学年位までは専らそこで野球や鬼ごっこ、
かくれんぼ等、その当時の極々フツーの遊びをやっていた。
勿論ファミコンやプレステの様なTVゲーム機等無い時代だ。

その様なフツーの遊びをやっている時に、近くに小さな竹林があったせいか、
ある日その竹で竹ヤリを作って遊んでいた。
前述の線路は幅が8メートル前後位しかなかったのではないかと記憶しているが、
その時、その竹ヤリを反対側まで投げてみようと思ったのである。
実際には、線路の幅のフチから高さ2、3メートル位の土手があり、
さらに土手と駐車場の境目には2メートル位のフェンスがあったので、
当時のジブンの体格ではそれらの障害物を越えて、向こう側の土手まで
竹ヤリを飛ばせるはずもなかったのであるが、それを試みた。
結果、失敗した。届かなかった。しかし届かなかった事など全く問題にならぬ程
恐ろしい事が起きた。
なんと向こうの土手まで届かなかった竹ヤリは、あろうことか
2本のレールの上を跨ぐように覆い被さってしまった!。
小学生のジブンでもよく解る、その事が示す意味の恐ろしさ!。

「脱線する…」。瞬間、そう理解した。
「早く取り除かなくちゃ」そう思ってフェンスを乗り越えようとしたその時、
まるで、閉ざされた狭い部屋で鳴らされた様な、音と音とが複雑に絡み合い、
それを聴く者にジットリとした不安感を喚起させる、あの不快な警報機の音が
鳴り響き始めたのである。
…身体が動かなくなった。硬直した。フェンスに指を絡めるようにして
笑う膝に対抗すべく身体を支えた。
目は…勿論ただ一点のみを見つめていた。

果たして、電車はやってきた。線路は上りと下りの2車線ある。
竹ヤリが被さっていない下りの線路を走る電車が来てくれれば…。
次の電車がやってくる間に充分取り除ける。しかし…。
やってきたのは無情にも上りの電車。汽笛を鳴らしながら近づいてきた。
「もうダメだ…」。金縛りに遭ったように、先程の体勢を微塵も変える事無く、
その時を迎えた。

「バリバリバリッ!!」。
…竹ヤリが砕けた音だった。呆気なかった。
どうと言う事はなかったのだ。重さ数十トンもある巨大な鉄の塊に
踏みつけられれば、竹ヤリなぞ何の問題もなく粉砕されてしまうのだ。
至極当然な事だったのだが、その時のジブンは不安が先に立ち、
そんな事すら気づかなかったという訳で…。

なにはともあれ、事なきを得たのであるが、もしあのヤリが竹で
無かったならば…。鉄パイプだったなら或いは…。
そう考えれば今でも背中を冷たいモノが走る。

ちょっとした不注意で大惨事を引き起こし、加害者の立場になってしまう
危険性は誰にでもあるものだ。しかしながら、それを馴れ合い的に
認めてしまっては、今後も今回のような大惨事が発生する可能性は多分にある。
今回の脱線事故は日本特有の過密ダイヤにもその責があるとする見方もあり、
「加害者」となってしまった、22歳の運転士に同情する意見も散見されるが、
やはり数百人という、多くの乗客を乗せて運行する電車の運転士としては、
今回の事故調査の過程で露見した彼の過去の不名誉な実績を鑑みても、
いささか自覚が足りなかったと言わざるを得ず、
遺族は勿論、世間の非難を一身に浴びる事になろう。

ジブンもまた、ある日突然の加害者にならぬ様、車ではあるが、
より一層気を引き締めて、その運転をしようと思いなおした次第。


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